阿部慎之助監督の出身校はどこなのでしょうか?
その頃は活躍していたのでしょうか?
現役時代から「打てる捕手」として評価が高く、通算406本塁打を放ちこの本塁打400打以上を放った記録はジャイアンツでは王貞治、長嶋茂雄以来となる3人目でジャイアンツの捕手としては歴代をもってしても最も本塁打を打った選手になります!
そんな阿部慎之助選手も2019年に引退をし、そのトレードマークである笑顔が良く似合うような、そんなわきあいあいとした引退記者会見だったことがとても印象的でした。
今回は阿部慎之助選手の出身校やその高校での活躍にスポットライトを当ててご紹介していきたいと思います。
阿部慎之助の出身校はどこ?活躍してた?

出典:https://gramho.com/explore-hashtag/%E5%AE%89%E7%94%B0%E5%AD%A6%E5%9C%92
阿部慎之助監督は読売ジャイアンツの捕手として長い間生え抜き選手としてチームを支えてきました。
「打てる捕手」として通算本塁打406の記録もさることながら、人懐っこい笑顔でそのキャラクターもとても人気でした。
そんな阿部慎之助監督の出身は、千葉県浦安市で、高校は安田学園高等学校の出身になります。
なんと阿部慎之助監督の父親が、過去にミスタータイガースとも呼ばれ阪神タイガースで大活躍した掛布選手と同期で、甲子園にも出場した経歴を持つそうです。
それに憧れた阿部選手も、左打ちとなり父が守っていたキャッチャーというポジションを守るという事に大きな影響を与えたと言います。
高校時代はあまり大きな活躍はありませんでしたが、高校通算本塁打38本を打っています。
残念ながら甲子園とは縁がなく出場はしていません。
阿部慎之助が有名になった大学時代!

出典:https://www.sankei.com/premium/news/170822/prm1708220007-n1.html
阿部慎之助監督が全国クラスの有名選手になったのは大学時代で、大学は中央大学商学部に進学します。
東都大学野球連盟で2部リーグだったこのチームを、1部リーグへ引き上げるという大躍進をみせ、その原動力となった中心選手が他でもない阿部慎之助監督でした。
阿部慎之助監督は大学1年時からその頭角をあらわします。
捕手としての能力ももちろんですがその上で打てるという大きな魅力をもって2000年9月にはシドニーオリンピックの日本代表にも選出されます。
この活躍により、早い段階からプロから注目されていた阿部選手ですがさらに才能の片鱗を見せつけたエピソードがあります。
阿部監督がまだ大学生の頃にアマチュアの有力選手をプロのキャンプに派遣するといった制度があり阿部監督も日ハムのキャンプに参加しました。
そこでシート打撃の練習中とはいえ、当時のエース格である岩本勉選手から特大のホームランを放ち、プロの選手たちの度肝を抜きました。
中央大学時代にその強打ぶりに、打撃に集中するよう野手へのコンバートを勧められますが、阿部選手はこれを固辞します。
幼少期から捕手である父の背中を見て、キャッチャーの魅力に気付いてしまったんでしょうね。
この思いの強さも熱くて阿部監督らしいですね!
そして、当時のドラフト制度としてあった、逆指名制度を利用して読売ジャイアンツに1位指名で入団する事になります。
阿部慎之助そして2軍監督へ

出典:https://www.daily.co.jp/baseball/2019/11/02/0012841527.shtml
2019年阿部慎之助選手が現役を引退してから早々に、2軍監督に大抜擢されるという衝撃の人事が発表されました。
そんな阿部慎之助選手、いや阿部監督は2軍選手達に熱血指導を贈る鬼軍曹と化しているという事です。
「まだまだ!もっといけるだろ!」と選手たちにゲキをとばす阿部監督は2軍の選手たちを技術が足りなかったり、あと一歩のところでチャンスを掴めない選手が多いだけで、みんないい物をもっている、と愛情が存分に溢れたコメントをしてくれています。
その気持ちがあり、練習量も必然的に多くなってしまうそうですね。
阿部監督の過去の学生時代やプロの若手時代の経験からも「キツイのはわかるけど、絶対将来のためになるから」と言われ、シゴキにも似た猛練習をさせられたと言います。
それに対して「うるせぇな」と思っていたそうですが、実際にはその指導者の言う通り「将来のためになった」と言います。
なにより、猛練習に耐えきった、練習量は誰にも負けないというような気持ちを手に入れるためにも今は鬼軍曹として選手たちを育てているという事でした。
読売ジャイアンツとしてもリーグ2連覇や日本シリーズ奪還を目指す2020年になりますが、阿部監督就任1年目にして監督業のみならず新型ウィルス、コロナによりプロ野球にも大きな影響を与えています。
この問題を阿部新監督も持ち前の笑顔と熱い心で乗り越えていつも通りのプロ野球を魅せてもらいたいと思いますね。
まとめ
今回の記事を簡単にまとめさせていただきたいと思います。
・阿部慎之助監督は安田学園高等学校で甲子園出場はありませんでした。
・阿部監督は大学時代に大活躍し、プロに注目されるようになりました。
・大学時代にはシドニーオリンピック代表にも選出されています。
阿部慎之助監督の出身校は安田学園高等学校で、大学時代は中央大学です。
高校時代には甲子園出場は叶わなかったものの高校通算38本塁打を放ち、強打者としての片鱗を垣間見せ、大学時代にその才能が花開き1年目からシドニーオリンピックの日本代表に選出されるほどの活躍を見せます。
今ではその学生時代からプロでの経験を生かした熱血指導が印象的な阿部監督ですが、きっといい監督になるようなそんな予感がしますね!