阿部慎之助監督が中央大学を中退したのって本当なのでしょうか?
そうだとしたら、なにが原因だったのでしょうか?
阿部慎之助監督は読売ジャイアンツに所属する捕手で、生え抜きから引退までジャイアンツ一筋でプロ野球生活を送ってきました。
「打てる捕手」として通算本塁打も400を超えるほど打ち、読売ジャイアンツの18代主将を務めた経歴もあります。
そんな阿部慎之助監督は大学時代に脚光を浴び、プロに鳴り物入りしてきました、もちろんドラ1でジャイアンツに入団しました。
しかし、阿部慎之助監督は大活躍した大学、中央大学を中退した経歴も持っています。
今回は、そんな阿部慎之助監督が大学を中退した理由やその活躍など、他にも実は大学を中退していた選手などのご紹介をしていきたいと思います。
目次
阿部慎之助が中央大学を中退したのって本当?

出典:https://www.jiji.com/jc/d4?p=abe010&d=d4_bb
阿部慎之助監督の出身大学は中央大学で、当時から打撃に定評がありシドニーオリンピックにも選抜されるほどの実力を持っていました。
阿部慎之助監督は高校時代にはあまり活躍の場がなく、甲子園へも出場はしていませんが大学野球でその真価を発揮し、大活躍を見せました。
そんな阿部慎之助監督は中央大学を中退した経歴を持っています。
阿部慎之助監督は大学4年生時期に、逆指名制度を利用していたためドラフトで指名されるという事は決定していました。
しかし、大学で卒業に必要な単位を取れずに中退せざるを得なくなったという事でした。
プロに入ってからも大学に通ったり、少し遅れて卒業するという人もいますが阿部監督はそれを選択せずにすっぱりとプロ一本での道を選びました。
やはり大学の勉強と野球の両立は難しい事なんだな、と痛感させられますね。
阿部慎之助の大学での活躍は?

出典:https://mainichi.jp/graphs/20170809/hpj/00m/050/004000g/3
阿部慎之助監督は大学野球に入るまでは活躍の場に恵まれませんでした。
高校通算本塁打も38本という成績は残していましたが、甲子園の出場もなく脚光を浴びる事はありませんでした。
そんな阿部監督が活躍する事になったのが、大学時代の事で中央大学に進学しその真価を発揮する事になります。
東都大学野球連盟2部リーグでプレーする事にはなりましたが、中心選手として打撃や守備の要としても大活躍し、2部リーグから1部リーグに昇格するという快挙を達成します。
また、他にも2009年シドニーオリンピックにも日本代表として選出され、さらなる脚光を浴びることになります。
持ち前の高い打撃力が魅力的で、捕手としてもチームを勝利に導く活躍を見せてくれています。
阿部監督の活躍を考えると大学を中退して正解だったと言えるかもしれませんね。
プロに入りながらも大学に通い続けていたら1年目からの活躍は難しかったとも思えますし、プロ野球選手でも人生何があるかわからないものですね。
他にも大学野球を中退した経歴を持つ選手は?

他にも大学を中退したという経歴を持つ選手はたくさんいます。
越智大祐選手(読売ジャイアンツ)
早稲田大学人間学部へ進学、大学4年で卒業できないままプロ野球の読売ジャイアンツにドラフト4位で入団しました。
読売ジャイアンツに入団した後も大学に通い、半年遅れで見事卒業しています。
岡田幸文選手(千葉ロッテマリーンズ)
日本大学に進学したが、入学直前に左ヒジを負傷し、1年経たずに中退してしまいました。
ケガが癒えた1年後にはクラブチームの全足利クラブに入団し給食センターで働きながら、夕方に練習をしてたそうです。
2008年の秋のロッテの入団テストに合格しプロ入りの夢を叶え、今ではゴールデングラブ賞に輝くなど守備の名手としても活躍をしています。
森山良二選手(西武ライオンズ)
早稲田大学を目指して2年間浪人した後に、北九州大学に進学します。
高校時代から球団関係者に注目されていた森山選手は西武ライオンズへの入団を打診され大学を中退してONOフーズ(野球部なし)に入社させられていました。
その経緯もあってか、全く言っていいほどのノーマークの中での単独1位指名で他球団を驚かせました。
いわゆる隠し玉というやつですね。
しかし、プロ野球指名のために大学を中退させる手段を選ぶとはすごい執念を感じますね。
まとめ
今季の記事を簡単にまとめさせていただきます。
・阿部慎之助監督は中央大学を4年生の時に中退しています。
・4年時に読売ジャイアンツに入団が内定している中で単位が取れず留年する前に中退を選びました。
・プロ入り後にも大学に通う方法はあるみたいですが、阿部監督はこれを選択しませんでした。
阿部慎之助監督は大学野球で輝かしい活躍を見せました。
シドニーオリンピックの日本代表としても選出され、この活躍によりプロ入りが決まったと言っても過言ではありません。
そんな阿部監督は読売ジャイアンツに逆指名で入団しますが、大学の4年生時には単位が取れず卒業できないという状態だったそうですが、留年よりもプロ入りを選択しました。
一般の考え方ですと、留年してでも卒業をした方が良いとは思いますが、やはりプロ入りがかかると決断を迫られることになるみたいですね。
確かに留年か?巨人のドラ1でプロ入りか?と言われたら、中退してでもプロ入りしますよね!